松戸市立博物館 常設展示 9

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小金牧と御鹿狩

下総には古代より馬の牧場が設置され放牧が行われていました。
江戸幕府は慶長年間(1596~1614年)この地に直轄の牧場 小金牧・佐倉牧を開設し今の松戸市域の大半も小金牧に含まれていました。
また徳川将軍家は小金原で「御鹿狩」という大規模な狩りを4回行いましたがその舞台となったのが現在の松飛台周辺でした。

松戸市立博物館 常設展示
松戸市立博物館 常設展示
松戸市立博物館 常設展示
鐙(馬具) 近世(江戸時代)
松戸市立博物館 常設展示
松戸市立博物館 常設展示

野馬捕りの献額
幸谷の福昌寺観音堂には、明治15年(1882年)旧野馬奉行綿貫氏と牧士たちが奉納した「野馬捕りの献額」があります。そこには、小金牧の野馬を土手をめぐらせた「捕込」に追い込む牧士や勢子、これを見守る野馬奉行、さらには楽しそうに見学する庶民や露店などが描かれており、「野馬捕り」の様子を今に伝えてくれる貴重な資料となっています。

野馬奉行と牧士
野馬奉行綿貫家の先祖は、伝承によれば千葉氏の一族で、家康より奉行に登用された時に綿貫の姓をたまわったといわれ、小金町に役宅を構えていました。野馬奉行の配下で牧の中に住む牧士は、旧小金城主高城氏の家臣などの家から選ばれ、野馬捕りの指揮、毎月6回の牧巡視をおこない、野馬の世話や野馬土手修繕の指示など、牧の管理にあたっていました

松戸市立博物館 常設展示
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幸谷観音 野馬捕りの献額 明治15年(1882年)
松戸市立博物館 常設展示
幸谷観音 野馬捕りの献額 明治15年(1882年)
松戸市立博物館 常設展示
成田名所図会

御鹿狩
徳川将軍家が小金原で行った大規模な狩りを「御鹿狩」といいます。8代将軍吉宗が享保10・11年(1725・26年)の2回、11代家斉が寛政7年(1795年)、12代家慶が嘉永2年(1849年)と合計4回の御鹿狩が行われました。4回目の御鹿狩はとくに盛大で、旗本などの武士2万人余が参加し、武蔵・上総など4カ国から小金中野牧まで獲物を追い込む百姓勢子10万人以上が動員されました。

松戸市立博物館 常設展示
小金原御狩之記 寛政7年(1795年)
松戸市立博物館 常設展示

百姓勢子
「御鹿狩」の際に鹿や猪を御狩場まで追い込むのは百姓勢子といわれた農民でした。寛政7年(1795年)の御鹿狩は、武蔵・下総・上総・常陸の4カ国381カ村から正式人足だけで7万以上の勢子が参加しました。村ごとに指定された勢子たちは、村名矢人足数を書いた幟、威鉄砲、竹棹に捕縄、食料などを持って、3日3晩をかけて動物を御狩場まで追い込みました。

百姓勢子 松戸市立博物館 常設展示
小金原牧狩立場之図 明治30年(1897年)松戸市立博物館 常設展示
小金原牧狩立場之図 明治30年(1897年)

江戸川の船橋
松戸・金町の間を流れる江戸川には、幕府の政策により橋が架けられていませんでしたが、「御鹿狩」の時だけは将軍通行用の仮橋として、川船を20数艘並べた船橋が作られました。船橋は、両岸の大きな杭と檜の皮で編んだ虎綱でつなぎとめられ、その側には急用に備えて将軍の御座船麒麟丸が停泊していました。

船橋用虎綱  近世(江戸時代)松戸市立博物館 常設展示
船橋用虎綱  近世(江戸時代)松戸市立博物館 常設展示
船橋用虎綱  近世(江戸時代)
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