近世の村
豊臣秀吉の天下統一つづいて徳川幕府の成立により近世に入った頃の松戸市域はほとんどが農村でした。幕末でも松戸・小金の2つの宿を除き市域には新田村を含む53の村がありました。
近世の領主は、村を行政単位として年貢などを徴収したり宗門改めや五人組制度などによって農民を支配し村は名主・組頭等の村役人を代表者として生産・生活を営んでいました。












庚申講
道教の教えにもとづく庚申信仰は、近世に入ると60日に一度の庚申の日に庚申講を祀る信仰となり広まりました。村では庚申講が結ばれ、当日には村人のなかの当番の家に集まり夜明けを待つ庚申待を行いました。精進料理を食べ、世間話をして過ごすなど、村の楽しい行事のひとつだったようです。



庶民の旅
泰平が続いた近世中後期、農民たちも農閑期に諸国の寺社への参詣の旅に出ることを楽しみにしており、旅の費用を作るための講も盛んにできました。伊勢参宮を目的とした伊勢講では、村で講中を結び、くじ引きで代参者を決め、旅行許可書の往来手形を領主からもらって出かけました。市内大谷口の旧家大熊家には、この時代の旅の記録「道中日記」が多数残されています。





