中世人の生と死
武士の政治が長く続いた中世は合戦や紛争も多く死が身近に感じられる時代でした。
そこで板碑にみられるように生前や死後の様々な供養や宗教行事が一般庶民にまで浸透していきました。一方、多種多様な職業に従事する人々が生まれ以前よりも自由に活動した時代。
これも中世という時代の特徴です。


常滑壺
馬橋の王子神社境内で工事中に発見された常滑(愛知県)産の壺です。馬橋東部の丘にあった塚に埋納されていたものが、昭和初期の塚の移転に伴い、王子神社に埋め直されたということです。12世紀末頃の中型の壺で、仏教の経典を地中に埋めることで願いの成就を期す埋経の容器などの用途が考えられます。

板碑と供養
板碑は板石塔婆ともいわれ、中世の関東に広く分布する石造物です。多くは故人の年忌の際や逆修という生前供養のために建てられました。また、墓碑的な性格のものや庚申信仰などと結びついて複数の人間で建てる場合もありました。板碑は当初武士階級のものでしたが、次第に上層の庶民にまで普及していきました。










本土寺過去帳と板碑
日蓮宗の板碑は「南無妙法蓮華経」と刻まれている点で、他の宗派のものと区別できます。本土寺境内から出土した板碑には「本土寺過去帳」と人名、年代が一致するものが4例確認されています。文字資料と石造物の記述が一致するのは大変珍しく、過去帳の内容の正確さを物語る一例といえるでしょう。


