松戸市立博物館 常設展示 5

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千葉氏と高城氏

千葉氏は鎌倉時代の下総国では最も有力な武士でした。
源頼朝に従った常胤の代に勢力を伸ばしました。
戦国時代になると東葛飾地域の村々の土豪・地侍を配下とした高城氏が登場します。
千葉氏の子孫といわれる高城氏は大谷口に広大な小金城を築き小田原北条氏の家臣として下総有数の領主となりました。

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高城氏をめぐる支配
高城氏は千葉氏または、その重臣である原氏の家臣であったようですが、やがて独立し、北条氏に属することで勢力を伸ばしました。配下には土豪・地侍が多数おり、村々を支配していました。一方、室町幕府将軍の代官である関東公方(古河公方)足利氏が、高貴な武家の棟梁として武士たちの最上位に位置していました。

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小金城
小金城は西に武蔵国を望み、また北関東方面への通り道にもなっていたので、しばしば合戦に巻き込まれました。とくに北条・上杉の二大勢力にとってこの城の帰属は勝敗に大きく影響しました。小金城は昭和37年(1962年)に発掘調査がおこなわれ、その結果15世紀後半から16世紀にかけての遺構や遺物が発見されました。

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小金城の今昔
小金城は台地上に区画された多くの曲輪から成り立っています。
自然地形を上手に利用しながら、斜面や谷を削って小さい曲輪(腰曲輪)や堀を設けたり、土を突き固めて土塁や櫓台を造るなどして、外敵の侵入に備えました。

小金城本城地区
小金城は中心部だけでも東西・南北それぞれ600mあり、城下である今の小金の町を含めると広大な面積になります。そのうちもっとも堅い防御が施されたのは、本城という地名の残る西南端です。南と西が急斜面、北と東は広くて深い堀を折り曲げて設けることで攻め手の力を弱め、さらに内側に土塁を積んでいます。土塁の広がった場所には櫓が建てられたでしょう。

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