東洋経済の「「船橋にはあるのにうちにはない」と百貨店を誘致、大松戸市を目指すも失敗…「千葉のベッドタウン」が迎えた”皮肉な結末”」を読んで考えたこと

キテミテマツド
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【松戸ペディア的考察】伊勢丹の思い出と、新駅ビル完成後の「キテミテマツド」が抱える課題、そして市役所移転の最適解

先日の伊勢丹松戸店に関する記事を読んで、オープン当時の懐かしい記憶が一気に蘇ってきました。

私が当時何より驚いたのは「外が見えるシースルーエレベーター」です。それまでデパートといえば上野の松坂屋によく連れて行ってもらっていたので、あの近代的なエレベーターからの景色は、子ども心にとても新鮮でワクワクしたのを今でも鮮明に覚えています。

記事の中には「アーバンヒル松戸」や「扇屋ジャスコ」といった懐かしい名前も登場していましたが、個人的には「長崎屋」に一番の思い入れがあります。あの頃の松戸駅前は、本当に様々な熱気であふれていました。

松戸駅前が大規模商業施設に向かない「地形的・歴史的」理由

そもそも、旧伊勢丹(現キテミテマツド)の位置は、松戸駅から400mほど離れています。ライバルである柏のように、駅に隣接・直結しているわけではありません。

なぜ駅前に巨大なデパートが作れなかったのか?

昔、私の父がこんなことを言っていました。

「松戸の駅前地主は土地を売らないから、駅前には大きな建物が建たないんだよ」

まさにその通りだったのでしょう。それに加え、松戸駅周辺は「平地の展開力がない」という決定的な地形的弱点を抱えています。

  • 西口: 駅から600mも歩けば、すぐに江戸川にぶつかってしまう。
  • 東口: 国道6号線から急な坂を下った谷底のような場所に位置している。

東西ともに土地の拡張性が乏しく、大規模な商業施設をドカンと構えるには、最初からかなり不利な条件が揃っていたのです。

新駅ビル完成で人の流れが変わる。キテミテマツドはどうなる?

そして今、私たちが直面しているのが「松戸駅の新駅ビル完成後の未来」です。

新駅ビルが完成すれば、駅周辺の利便性は間違いなく上がります。しかし、それは同時に「人の流れが駅直結の施設に完全に吸い取られる」ことを意味します。駅から400m離れたキテミテマツドへわざわざ足を運ぶ人は激減し、今よりもさらに厳しい状況(廃れてしまうこと)に追い込まれるのは火を見るより明らかです。

「新駅ビルができれば人の流れが変わる。誰もキテミテマツドに行かなくなる」

この危機感を、一体どれだけの人が、そして行政が共有しているのでしょうか。

キテミテマツドへの「市役所完全移転」というウルトラC

今更言っても仕方ないことかもしれませんが、この松戸市役所移転問題に対する松戸ペディアのベストアンサーはこれです。

「松戸市役所をキテミテマツドの建物に完全移転し、現市役所の土地・建物と交換する」

もちろん、建物の1階・2階にはこれまで通り商業テナントに入ってもらい、賑わいを創出します。そして3階以上を市役所の新庁舎として活用するのです。

こうでもしないと、新駅ビル完成後に急速にゴーストタウン化しかねない巨大な建物をどうするのかという、より深刻な問題が松戸市に重くのしかかってきます。

成功事例はすでにある:土浦市役所の「ウララ」モデル

商業ビルを市役所に転用するアイデアは、決して突飛なものではありません。身近な成功例として茨城県の土浦市役所があります。

土浦市役所本庁舎は、JR土浦駅前にある元大型商業ビル「ウララ」を改修し、2015年に移転・オープンしました。

地上6階、地下1階建て、延床面積約2万7千平方メートルという「元・大型店舗」の広大な構造をフルに活かし、広々としたワンストップ窓口や市民ラウンジを備えた素晴らしい庁舎へと生まれ変わっています。

松戸市も、キテミテマツドの巨大なフロア面積を活かせば、市民にとって非常に使い勝手の良いワンストップ窓口が実現できるはずです。

松戸駅前の歴史を振り返りつつ、未来の「まちづくり」をどうデザインしていくのか。新駅ビル開業を控えた今こそ、過去の失敗と成功から学び、大胆な決断を下す時ではないでしょうか。

伊勢丹松戸店閉店の背景と松戸市の変遷(要旨)

## 伊勢丹松戸店閉店の背景と松戸市の変遷(要旨)

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2018年に閉店した伊勢丹松戸店について、単に「市議会の反対で見捨てられた」わけではなく、松戸市という街の発展の歴史や競争環境の変化がもたらした構造的な結果であることを解説しています。記事の要点は以下の通りです。

* **「消費センター」構想と伊勢丹の誕生**
1968年、松戸市は単なるベッドタウンからの脱却を目指し、商業都市化を計画しました。小学校を移転させて駅前の一等地を確保し、開発を担った三菱地所の繋がりから1974年に伊勢丹が核テナントとして誘致されました。
* **激化する競争と度重なる改装**
開業直後から近隣の柏市(そごう、高島屋)との競争に加え、松戸駅周辺にも大型スーパー(ジャスコ、ダイエー、イトーヨーカドーなど)が密集し、激しい競争環境に晒されました。伊勢丹は改装や増床で対抗し一時的に売上を伸ばすものの、競合も投資を重ねたため、次第に業績が低下していきました。
* **前提条件と関係者の変化**
開業当初の「市・三菱地所・伊勢丹」という三者の目的は一致していましたが、時代とともにビルは投資ファンドへ売却され、三越伊勢丹側も経営陣の交代や地方店の構造改革へと方針を転換。百貨店を維持するための利害関係が失われていました。
* **商業都市ではなく「住む街」としての発展**
都心への直通運転(千代田線・常磐線)の恩恵もあり、松戸市は行政が描いた商業都市(消費センター)ではなく、都心へ通勤する人々のための「住みやすい住宅都市」として発展を遂げました。

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> **結論**
> 伊勢丹松戸店の閉店は、松戸市が衰退したからではありません。「都心で良いものを買い、地元で暮らす」というスタイルが定着し、かつて行政が描いた「百貨店を中心とした商業都市」という前提そのものが失われたことが、撤退の最大の要因です。
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