2 戦中 (松戸市)
日中戦争の長期化を受けて1938(昭和13)年5月に施 行された国家総動員法を皮切りに、軍事最優先の経済 統制がはじまると、市域の人びとも今まで以上に苦しい 生活を強いられます。さらに、政府命令の伝達・遂行と 相互監視を目的とする隣組や空襲に備える警防団など、 「銃後奉公」の組織も相次いで作られました。
1941(昭和16)年12月に太平洋戦争が始まると状況はさ らに悪化します。食料と生活必需品の不足にくわえ、成年 男子が戦地へ送り込まれたことで労働力が不足し、学生や 女性、中高年の人たちが軍需工場や農作業に駆り出されま した。1940(昭和15)年に民間のパイロット養成を目的に 作られた松戸飛行場(現 松飛台一帯)も、戦局の悪化にと もない特別攻撃隊の中継地点としての役割を担いました。
老若男女を問わず誰もが戦争と死を突き付けられる 日々は、1945(昭和20)年8月15日にようやく終わりを 迎えます。
出典:「あの日の“まつど”写真でふりかえる150年 松戸市立博物館企画展 博物館開館30周年 千葉県誕生150周年・松戸市制施行80周年記念」(松戸市立博物館2023年)












