
(墓所:4区1種4側11番)
血脇守之助(1870-1947)は、明治から昭和初期にかけて、日本の歯科医学教育と医療制度の確立に尽力した歯科医学者です。
慶應義塾を卒業後、新聞記者や英語教師を経て、歯科医師の道を志します。高山歯科医学院に入学し、1900年(明治33年)に同学院を継承して**東京歯科医学院(現・東京歯科大学)**を設立。近代的な高等教育機関として歯科医を養成する仕組みを築き上げ、校長や名誉学長を歴任しました。
また、1903年には**大日本歯科医会(現・日本歯科医師会)**の設立に携わり、後に初代会長となるなど、歯科医師の地位向上と歯科医療の普及に多大な貢献をしました。
血脇の最も有名な功績の一つは、細菌学者・野口英世の強力な後援者として知られることです。高山歯科医学院の学生だった野口の才能を見抜き、私財を投じて援助し、彼の渡米と世界的な研究者としての成功を支えました。
「歯科医師たる前に人間たれ」という言葉を残した血脇守之助は、日本の歯科医学界の発展に欠かせない人物です。

