ひなげしの小径(与謝野晶子の歌碑)

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与謝野晶子歌集
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与謝野晶子は、1878年(明治11年)12月7日に、大阪府堺市で生まれました。本名は志よう。

幼い頃から文学に親しみ、1900年(明治33年)に与謝野鉄幹が創立した新詩社に入会し、短歌を発表し始めました。1901年(明治34年)に鉄幹と結婚し、夫婦で『明星』を創刊しました。

『明星』は、明治期の文学界を代表する雑誌となり、晶子は『みだれ髪』などの歌集で、奔放な情熱と激しい恋愛を表現した作品を発表し、明治浪漫主義の代表的な歌人となりました。

また、晶子は女性運動にも積極的に参加し、女性の社会進出や自立を訴えました。

1942年(昭和17年)5月29日に、脳出血のため亡くなりました。

代表的な作品

歌集『みだれ髪』(1901年)
歌集『小扇』(1902年)
歌集『舞姫』(1903年)
歌集『恋衣』(1904年)
歌集『朱葉集』(1917年)
歌集『火の鳥』(1926年)
歌集『太陽と薔薇』(1927年)
歌集『心の遠景』(1938年)
歌集『白桜集』(1943年)
詩集『天地の歌』(1912年)
随筆『私の履歴書』(1929年)
評論『女性の自立』(1912年)
与謝野晶子の功績

明治浪漫主義の代表的な歌人として、短歌の革新を行った。
女性運動にも積極的に参加し、女性の社会進出や自立を訴えた。
与謝野晶子は、明治時代の文壇に大きな影響を与えた歌人であり、女性運動の第一人者としても知られています。彼女の奔放な情熱と激しい恋愛を表現した歌は、今なお多くの人々に愛され続けています。
ひなげしの小径(与謝野晶子の歌碑)

石飛博光(いしとびはっこう)

しもふさの
松戸におほく
楽みて
少(すくな)く愁(うれ)ふ
花のかたはら

与謝野晶子の歌「しもふさの松戸におほく楽みて少(すくな)く愁(うれ)ふ花のかたはら」は、1900年(明治33年)に松戸市の戸定邸を訪れた際に詠んだ歌です。

歌の冒頭「しもふさの松戸におほく楽みて」は、松戸の美しい景色に心躍っていることを表しています。戸定邸は、江戸時代の武家屋敷を移築した庭園で、ひなげしや菖蒲など、季節の花々が咲き誇ります。晶子は、そんな松戸の景色に心を奪われたのでしょう。

「少(すくな)く愁(うれ)ふ花のかたはら」は、ひなげしが咲き誇る様子を見て、わずかに寂しげな気持ちになったことを表しています。ひなげしは夏の花ですが、晶子は当時すでに30歳を過ぎていました。ひなげしのように若々しく、自由に生きることができない自分の境遇を嘆いているようにも読み取れます。

この歌は、晶子の人生観を垣間見ることができる歌と言えるでしょう。晶子は、ひなげしのように自由で、誰にも縛られない生き方を夢見ていたのかもしれません。しかし、現実はそう簡単にはいかず、自分自身の境遇に苦悩することも少なくなかったのでしょう。しかし、それでも晶子は、ひなげしの美しさから、生きる希望を見出していたように思います。

以下に、この歌の現代語訳をご紹介します。

現代語訳

下総の
松戸で大いに
楽しく過ごし
少しだけ
寂しげな花の
様子

松戸で大いに
楽しく過ごし
ひなげしが咲き誇る
様子を見て
少しだけ
寂しげな気持ちになった

この歌は、松戸の美しい景色を詠んだ歌ですが、その背景には、晶子の人生観や生き方への思いが込められているように思います。

加藤煌雪(かとうこうせつ)

天(あめ)に去る
薔薇(ばら)のたましひ
地の上に
崩れて生くる
ひなげしの花

与謝野晶子の歌「天に去る薔薇の魂 地の上に崩れて生くるひなげしの花」は、1902年(明治35年)に詠まれた歌です。

歌の冒頭「天に去る薔薇の魂」は、天国に昇る薔薇の魂を表現しています。薔薇は、美しく華やかな花ですが、その生涯は短く、すぐに散ってしまいます。晶子は、そんな薔薇の魂を、美しく輝かしいものとして捉えているのでしょう。

「地の上に崩れて生くるひなげしの花」は、地面に咲くひなげしの花を表現しています。ひなげしは、生命力が強く、倒れてもまた這い上がって咲き続けます。晶子は、そんなひなげしの花を、たくましく生きる姿として捉えているのでしょう。

この歌は、美しさや華やかさと、生命力やたくましさの二面性を対比的に描いた歌と言えるでしょう。晶子は、薔薇とひなげしを通して、人生の意味や価値について考えていたのかもしれません。

以下に、この歌の現代語訳をご紹介します。

現代語訳

天国に昇る
薔薇の魂は
地面に咲く
ひなげしの花のように
倒れてもまた
生き続ける

この歌は、薔薇とひなげしの対比を描いた歌ですが、その背景には、晶子の人生観や生き方への思いが込められているように思います。

大多和玉祥(おおたわぎょくしょう)

ひなげしと
遠く異る
身となりぬ
松戸の丘に
寄りて思へば

与謝野晶子の歌「ひなげしと遠く異る身となりぬ松戸の丘に寄りて思へば」は、1900年(明治33年)に松戸市の戸定邸を訪れた際に詠まれた歌です。

この歌は、ひなげしの美しさに感動しつつも、自分自身の境遇との違いを嘆いている歌と言えるでしょう。

歌の冒頭「ひなげしと遠く異る身となりぬ」は、ひなげしのように自由に咲き誇ることができない自分の境遇を嘆いていることを表しています。ひなげしは夏に咲く花ですが、晶子は当時すでに30歳を過ぎていました。ひなげしのように若々しく、自由に生きることができない自分の境遇を嘆いているようにも読み取れます。

「松戸の丘に寄りて思へば」は、松戸の丘に立って、ひなげしを眺めながら、自分の人生について考えを巡らせていることを表しています。ひなげしの美しさは、晶子の心を揺さぶり、自分自身の生き方について新たな気づきを促しているのでしょう。

この歌は、晶子の人生観を垣間見ることができる歌と言えるでしょう。晶子は、ひなげしのように自由で、誰にも縛られない生き方を夢見ていたのかもしれません。しかし、現実はそう簡単にはいかず、自分自身の境遇に苦悩することも少なくなかったのでしょう。しかし、それでも晶子は、ひなげしの美しさから、生きる希望を見出していたように思います。

以下に、この歌の現代語訳をご紹介します。

現代語訳

ひなげしのように
自由に咲き誇れぬ
私の境遇を
松戸の丘に立ち
思い浮かべれば

この歌は、松戸の丘のひなげしを詠んだ歌ですが、その背景には、晶子の人生観や生き方への思いが込められているように思います。

この歌を読んで、私は、晶子の生きざまに共感を覚えました。晶子は、ひなげしのように自由に生きることができなかったかもしれませんが、それでもひなげしの美しさから、生きる希望を見出していたように思います。私たちも、晶子のように、自分の境遇に苦悩しながらも、それでも生きる希望を見出し、前向きに生きていきたいものです。

海野涛山(うみのとうざん)

南国の
草木が仮の
宿とせる
硝子の部屋に
われもあらまし

与謝野晶子の歌「南国の草木が仮の宿とせる硝子の部屋にわれもあらまし」は、1903年(明治36年)に詠まれた歌です。

この歌は、南国の草木が仮の宿とする硝子の部屋に、自分も同化したい、溶け込みたいという思いを詠んだ歌と言えるでしょう。

歌の冒頭「南国の草木が仮の宿とせる硝子の部屋に」は、南国の草木が、硝子の部屋を仮の宿として過ごしていることを表しています。硝子の部屋は、外界との隔絶された空間であり、草木にとっては、本当の意味での居場所ではないのでしょう。しかし、それでも草木は、硝子の部屋の中で、自由に咲き誇っています。

「われもあらまし」は、自分も草木のように、硝子の部屋の中で自由に生きていきたいという思いを表しています。晶子は、当時、日本の伝統的な女性像に縛られて、自分の生き方に苦悩していました。そんな晶子は、南国の草木の姿に、自由への憧れを見出していたのかもしれません。

以下に、この歌の現代語訳をご紹介します。

現代語訳

南国の草木が
仮の住み処とする
ガラスの部屋に
私もいたい

この歌は、南国の草木の姿を詠んだ歌ですが、その背景には、晶子の生き方への思いが込められているように思います。

この歌を読んで、私は、晶子の生きざまに共感を覚えました。晶子は、日本の伝統的な女性像に縛られていましたが、それでも自由への憧れを捨てませんでした。私たちも、晶子のように、自分の境遇に苦悩しながらも、それでも自由への憧れを捨てずに、前向きに生きていきたいものです。

また、この歌は、自由への憧れという普遍的なテーマを扱った歌と言えるでしょう。私たちは、誰しもが、自由に生きたいという思いを抱いているのではないでしょうか。この歌は、そんな私たちの心を揺さぶる力を持っていると言えるでしょう。

鈴木一敬(すずきいっけい)

松戸なる
人の贈りし
ひなげしを
置けばいみじき
うすものの膝

与謝野晶子の歌「松戸なる人の贈りしひなげしを置けばいみじきうすものの膝」は、1900年(明治33年)に松戸市の戸定邸を訪れた際に詠まれた歌です。

この歌は、松戸の戸定邸で、友人から贈られたひなげしを、自分の膝に置いたときの心境を詠んだ歌と言えるでしょう。

歌の冒頭「松戸なる人の贈りしひなげしを」は、友人から贈られたひなげしを表現しています。ひなげしは、夏の花であり、生命力が強く、倒れてもまた這い上がって咲き続けます。

「置けばいみじきうすものの膝」は、ひなげしを自分の膝に置いたときの、ひなげしの美しさと、自分の膝の弱々しさの対比を表現しています。ひなげしの美しさに心を奪われた晶子は、自分の膝の弱々しさを自覚したのでしょう。

この歌は、晶子の繊細な心の機微を表現した歌と言えるでしょう。晶子は、ひなげしの美しさに心を奪われながらも、自分の弱々しさを自覚し、複雑な感情に揺れ動いているのでしょう。

以下に、この歌の現代語訳をご紹介します。

現代語訳

松戸の友人から
贈られたひなげしを
私の膝に置けば
ひなげしの美しさが
私の弱々しい膝を
いみじく感じさせた

この歌は、ひなげしの美しさを詠んだ歌ですが、その背景には、晶子の繊細な心の機微が込められているように思います。

この歌を読んで、私は、晶子の優しさに心を打たれました。晶子は、ひなげしの美しさに心を奪われながらも、自分の弱々しさを自覚し、ひなげしの美しさをより一層感じていたのでしょう。私たちも、晶子のように、自分の弱々しさを受け入れながら、それでも美しいものに心を奪われることができるような、優しい心を持って生きていきたいものです。

福田鷲峰(ふくだしゅうほう)

時は午(ひる)
路の上には
日かげちり
畑の土には
ひなげしのちる

与謝野晶子の歌「時は午(ひる)路の上には日かげちり畑の土にはひなげしのちる」は、1900年(明治33年)に松戸市の戸定邸を訪れた際に詠まれた歌です。

この歌は、夏の午後の、ひなげしの咲き誇る畑の情景を詠んだ歌と言えるでしょう。

歌の冒頭「時は午」は、午後の時間帯であることを表しています。午後は、日差しが強く、日陰が短くなる時間帯です。

「路の上には日かげちり」は、路の上には、日差しが照らしてできた日陰がちりばめられている様子を表現しています。

「畑の土にはひなげしのちる」は、畑の土には、ひなげしが咲き誇っている様子を表現しています。ひなげしは、夏の花であり、生命力が強く、倒れてもまた這い上がって咲き続けます。

この歌は、夏の午後の、ひなげしの咲き誇る畑の情景を、鮮やかに描写した歌と言えるでしょう。晶子は、ひなげしの美しさに感動し、その情景を、短歌という形で切り取りました。

以下に、この歌の現代語訳をご紹介します。

現代語訳

午後の日差しの中、
路の上には日陰が
ちりばめられ、
畑の土には
ひなげしが咲き誇っている

この歌は、ひなげしの美しさを詠んだ歌ですが、その背景には、晶子の自然に対する愛情が込められているように思います。晶子は、夏の午後の、ひなげしの咲き誇る情景に、心を奪われたのでしょう。私たちも、晶子のように、自然の美しさに心を奪われ、その美しさを大切にしていきたいものです。

田中美敦(たなかびとん)

花下総の
松戸に見れば
散る雲も
柳絮(りうじょ)の如く
なつかしきかな

与謝野晶子の歌「花下総の松戸に見れば散る雲も柳絮の如くなつかしきかな」は、1900年(明治33年)に松戸市の戸定邸を訪れた際に詠まれた歌です。

この歌は、松戸の戸定邸で、散る雲と柳絮を眺めながら、故郷の思い出にふけった晶子の心境を詠んだ歌と言えるでしょう。

歌の冒頭「花下総の松戸に見れば」は、松戸の美しい景色を表現しています。戸定邸は、江戸時代の武家屋敷を移築した庭園で、ひなげしや菖蒲など、季節の花々が咲き誇ります。晶子は、そんな松戸の景色に心を奪われたのでしょう。

「散る雲も柳絮の如く」は、散る雲と柳絮を表現しています。柳絮は、柳の花が散った後に、風に吹かれて舞い上がる綿毛のことです。

「なつかしきかな」は、松戸の景色を眺めながら、故郷の思い出にふけったことを表しています。晶子は、松戸の景色に、故郷の景色を重ね合わせたのでしょう。

この歌は、晶子の故郷への郷愁を表現した歌と言えるでしょう。晶子は、松戸の景色を眺めながら、故郷の懐かしい思い出を思い出し、懐かしさに浸ったのでしょう。私たちも、晶子のように、故郷の思い出にふけることで、心を癒され、生きる力を見出すことができるかもしれません。

以下に、この歌の現代語訳をご紹介します。

現代語訳

下総の花々が咲き誇る
松戸の景色を眺めれば
散る雲も、
柳絮のように
懐かしく感じられるのだ

この歌は、松戸の景色を詠んだ歌ですが、その背景には、晶子の故郷への郷愁が込められているように思います。

伊藤欣石(いとうきんせき)

隙も無く
円くしげりて
アカシヤの
華やかに立つ
丘の路かな

与謝野晶子の歌「隙も無く円くしげりてアカシヤの華やかに立つ丘の路かな」は、1902年(明治35年)に詠まれた歌です。

この歌は、アカシヤの木が隙間なく円く茂り、華やかに立つ丘の路の情景を詠んだ歌と言えるでしょう。

歌の冒頭「隙も無く円くしげりて」は、アカシヤの木が隙間なく円く茂っていることを表しています。アカシヤの木は、夏に黄色い花を咲かせます。

「アカシヤの華やかに立つ」は、アカシヤの木が華やかに立っていることを表しています。アカシヤの花は、黄色く、可愛らしい花です。

「丘の路かな」は、丘の路の情景を表現しています。アカシヤの木が茂る丘の路は、まるで黄色いカーペットのようです。

この歌は、アカシヤの木の美しさや、丘の路の情景を鮮やかに描写した歌と言えるでしょう。晶子は、アカシヤの木の華やかさに心を奪われたのでしょう。

以下に、この歌の現代語訳をご紹介します。

現代語訳

隙間なく円く茂り、
華やかに咲くアカシヤの木が
丘の路を黄色く染めている

この歌は、アカシヤの美しさを詠んだ歌ですが、その背景には、晶子の自然に対する愛情が込められているように思います。晶子は、アカシヤの木の美しさに感動し、その情景を、短歌という形で切り取りました。

私たちも、晶子のように、自然の美しさに心を奪われ、その美しさを大切にしていきたいものです。

森桂風(もりけいふう)

六月や
長十郎と
云ふ梨の
並木に立ちて
明きみちかな

与謝野晶子の歌「六月や長十郎と云ふ梨の並木に立ちて明きみちかな」は、1903年(明治36年)に詠まれた歌です。 

この歌は、六月に、長十郎梨の並木に立って、明るい道を眺めた晶子の心境を詠んだ歌と言えるでしょう。

歌の冒頭「六月や」は、六月であることを表しています。六月は、梨が収穫される季節です。

「長十郎と云ふ梨の」は、長十郎梨を表現しています。長十郎梨は、甘くておいしい梨の品種です。

「並木に立ちて」は、長十郎梨の並木に立っていることを表しています。長十郎梨の並木は、まるで白いカーペットのようです。

「明きみちかな」は、明るい道を眺めたことを表しています。長十郎梨の並木の向こうには、明るい道が見えていました。

この歌は、長十郎梨の美しさや、明るい道の情景を鮮やかに描写した歌と言えるでしょう。晶子は、長十郎梨の美しさと、明るい道の情景に心を奪われたのでしょう。

以下に、この歌の現代語訳をご紹介します。

現代語訳

六月、長十郎梨の並木に立って
明るい道を眺めれば
心が明るく照らされる

この歌は、長十郎梨の美しさを詠んだ歌ですが、その背景には、晶子の自然に対する愛情が込められているように思います。晶子は、長十郎梨の美しさと、明るい道の情景に心を奪われ、その情景を、短歌という形で切り取りました。

私たちも、晶子のように、自然の美しさに心を奪われ、その美しさを大切にしていきたいものです。

白幡陽子(しらはたようこ)

花園は
女の遊ぶ
ところとて
われをまねばぬ
一草(いっそう)もなし

与謝野晶子の歌「花園は女の遊ぶところとてわれをまねばぬ一草もなし」は、1900年(明治33年)に詠まれた歌です。

この歌は、花園で、自分の姿をまねる花や草がないことに気づいた晶子の心境を詠んだ歌と言えるでしょう。

歌の冒頭「花園は女の遊ぶところとて」は、花園が女性の遊び場であることを表しています。花園には、さまざまな花や草が咲いています。

「われをまねばぬ一草もなし」は、自分の姿をまねる花や草がないことを表しています。花や草は、さまざまな形や色をしています。しかし、晶子の姿をまねる花や草は、一つもありませんでした。

この歌は、晶子の女性としてのアイデンティティを表現した歌と言えるでしょう。晶子は、当時の女性像に縛られて、自分の生き方に苦悩していました。そんな晶子は、花園で、自分の姿をまねる花や草がないことに気づき、自分の存在の意味を問うようになったのでしょう。

以下に、この歌の現代語訳をご紹介します。

現代語訳

花園は女性の遊び場だと
思っても、
自分の姿をまねる
花や草は一つもいない

この歌は、花園の情景を詠んだ歌ですが、その背景には、晶子の生き方への思いが込められているように思います。

この歌を読んで、私は、晶子の生きざまに共感を覚えました。晶子は、日本の伝統的な女性像に縛られていましたが、それでも自分の生き方を模索し続けました。私たちも、晶子のように、自分の境遇に苦悩しながらも、それでも自分の生き方を模索し続けていきたいものです。

また、この歌は、自分らしさの大切さを教えてくれる歌と言えるでしょう。私たちは、誰しもが、自分だけの個性を持っています。その個性を大切にすることで、自分らしく生きることができるのです。

鄙里春花(優子)(ひなさとしゅんか)

紫の
あやめがわれを
描くなり
若き友をば
ひなげしの描く

与謝野晶子の歌「紫のあやめがわれを描くなり 若き友をばひなげしの描く」は、1900年(明治33年)に詠まれた歌です。

この歌は、紫のあやめが晶子を、ひなげしが晶子の友人を描いていることを詠んだ歌と言えるでしょう。

歌の冒頭「紫のあやめがわれを描くなり」は、紫のあやめが晶子を描いていることを表しています。紫のあやめは、生命力が強く、倒れてもまた這い上がって咲き続けます。晶子は、そんな紫のあやめに、自分の生き方を重ね合わせたのでしょう。

「若き友をばひなげしの描く」は、ひなげしが晶子の友人を描いていることを表しています。ひなげしは、夏の花であり、生命力が強く、倒れてもまた這い上がって咲き続けます。晶子の友人は、そんなひなげしのような生き方をしているのでしょう。

この歌は、晶子の友人に対する思いを表現した歌と言えるでしょう。晶子は、自分の友人を、ひなげしのような生き方をしている人だと感じていたのでしょう。

以下に、この歌の現代語訳をご紹介します。

現代語訳

紫のあやめが、
私の生き方を
描いているように、
若き友は、
ひなげしのように
生きるのだろう

この歌は、晶子の友人の生き方を詠んだ歌ですが、その背景には、晶子の生き方への思いが込められているように思います。

この歌を読んで、私は、晶子の友情に心を打たれました。晶子は、自分の友人を、ひなげしのように、尊敬し、愛していたのでしょう。私たちも、晶子のように、大切な友人を、心から愛し、尊敬していきたいものです。

神尾紫楊(かみおしよう)

浅間(せんげん)の
森の木暗し
ここはまた
夏の花草
火投げて遊ぶ

与謝野晶子の歌「浅間の森の木暗しここはまた夏の花草火投げて遊ぶ」は、1902年(明治35年)に詠まれた歌です。

この歌は、浅間の森で、夏の花草を火で遊んだ晶子の心境を詠んだ歌と言えるでしょう。

歌の冒頭「浅間の森の木暗し」は、浅間の森の木々が茂り、暗いことを表しています。浅間の森は、富士山の麓にある森です。

「ここはまた夏の花草火投げて遊ぶ」は、夏の花草を火で遊んだことを表しています。晶子と友人たちは、浅間の森で、夏の花草を火で遊びました。

この歌は、晶子の自然に対する愛情を表現した歌と言えるでしょう。晶子は、浅間の森の木々の茂る様子や、夏の花草の美しさに心を奪われたのでしょう。また、火で遊ぶことで、自然との一体感を味わったのでしょう。

以下に、この歌の現代語訳をご紹介します。

現代語訳

浅間の森の木々が茂り、暗い中、
夏の花草を火で遊びながら、
私たちは自然を満喫した

この歌は、夏の花草を火で遊んだことを詠んだ歌ですが、その背景には、晶子の自然に対する愛情が込められているように思います。

この歌を読んで、私は、晶子の自然に対する愛情に心を打たれました。晶子は、自然を心から愛し、自然と一体になって生きることを大切にしていたのでしょう。私たちも、晶子のように、自然を大切にしていきたいものです。

加藤瑞雲(かとうずいうん)

ひなげしは
芝居の席に
つく如く
楽みて散り
土に身を置く

与謝野晶子の歌「ひなげしは芝居の席につく如く楽みて散り土に身を置く」は、1902年(明治35年)に詠まれた歌です。

この歌は、ひなげしが、芝居の席につくように、喜んで散り、土に身を置く様子を詠んだ歌と言えるでしょう。

歌の冒頭「ひなげしは芝居の席につく如く」は、ひなげしが、芝居の席につくように、喜んで散り始めることを表しています。ひなげしは、夏の花であり、夏の終わりになると、枯れて散ります。

「楽みて散り土に身を置く」は、ひなげしが、喜んで散り、土に身を置くことを表しています。ひなげしは、自分の役目を果たして散り、土に身を置くことを、喜んで受け入れているのです。

この歌は、ひなげしの生き様を表現した歌と言えるでしょう。ひなげしは、自分の役目を果たすことに喜びを見出し、その役目を果たして散ることを、誇りに思っているのでしょう。

以下に、この歌の現代語訳をご紹介します。

現代語訳

ひなげしは、
芝居の役を演じきったように、
喜んで散り、
土に身を置く

この歌は、ひなげしの生き様を詠んだ歌ですが、その背景には、晶子の生き方への思いが込められているように思います。晶子は、ひなげしのように、自分の役割を果たすことに喜びを見出し、その役割を果たして散ることを、誇りに思う生き方をしたのでしょう。

この歌を読んで、私は、晶子の生き方に心を打たれました。晶子は、自分の生き方を、ひなげしの生き様になぞらえたのでしょう。私たちも、晶子のように、自分の役割を果たすことに喜びを見出し、その役割を果たして散ることを、誇りに思う生き方をしていきたいものです。

また、この歌は、人生の終わりを表現した歌とも解釈できます。人は、いつか死を迎えます。しかし、その死を、芝居の役を演じきったように、喜んで受け入れることができるなら、それは、素晴らしい人生と言えるでしょう。

森桂山(もりけいざん)

いろいろの
波斯(ペルシャ)のきれを
切りはめて
丘に掛けたる
初夏の畑

与謝野晶子の歌「いろいろの波斯のきれを切りはめて丘に掛けたる初夏の畑」は、1902年(明治35年)に詠まれた歌です。

この歌は、さまざまな色のペルシャのきれを、丘に掛けた初夏の畑の情景を詠んだ歌と言えるでしょう。

歌の冒頭「いろいろの波斯のきれを切りはめて」は、さまざまな色のペルシャのきれを切りはめたことを表しています。ペルシャのきれは、さまざまな色のきれです。

「丘に掛けたる初夏の畑」は、丘に掛けた初夏の畑を表しています。初夏の畑は、さまざまな色の花が咲き誇っています。

この歌は、初夏の畑の美しさや、ペルシャのきれの色鮮やかさを鮮やかに描写した歌と言えるでしょう。晶子は、丘に掛けたペルシャのきれの美しさに心を奪われたのでしょう。

以下に、この歌の現代語訳をご紹介します。

現代語訳

さまざまな色のペルシャのきれを切りはめて、
丘に掛けた初夏の畑は、
まるで花畑のようだった

この歌は、初夏の畑の情景を詠んだ歌ですが、その背景には、晶子の自然に対する愛情が込められているように思います。晶子は、自然の美しさを心から愛し、その美しさを、短歌という形で切り取りました。

私たちも、晶子のように、自然の美しさに心を奪われ、その美しさを大切にしていきたいものです。

阿部桂石(あべけいせき)

ひなげしは
夢の中にて
身を散らす
われは夢をば
失ひて散る

与謝野晶子の歌「ひなげしは夢の中にて身を散らすわれは夢をば失ひて散る」は、1902年(明治35年)に詠まれた歌です。

この歌は、ひなげしが夢の中で散り、自分は夢を失って散るという、二つの対比を描いた歌と言えるでしょう。

歌の冒頭「ひなげしは夢の中にて身を散らす」は、ひなげしが夢の中で散ることを表しています。ひなげしは、夏の花であり、夏の終わりになると、枯れて散ります。

「われは夢をば失ひて散る」は、自分は夢を失って散ることを表しています。晶子は、当時、女性の生き方について、さまざまな葛藤を抱いていました。そんな晶子は、自分の夢を失い、散っていくことを予感していたのでしょう。

この歌は、晶子の生きざまを表現した歌と言えるでしょう。晶子は、女性の生き方に縛られながらも、自分の夢を追い求めていました。しかし、その夢を失い、散っていくことを予感していたのでしょう。

以下に、この歌の現代語訳をご紹介します。

現代語訳

ひなげしは、
夢の中で咲いて、
散っていく。
私は、
夢を失い、
散っていく。

この歌は、ひなげしの生き様を詠んだ歌ですが、その背景には、晶子の生き方への思いが込められているように思います。晶子は、ひなげしの生き様に、自分の生き方をなぞらえたのでしょう。私たちも、晶子のように、自分の生き方を、ひなげしの生き様になぞらえて、生きていきたいものです。

また、この歌は、人生の終わりを表現した歌とも解釈できます。人は、いつか死を迎えます。しかし、その死を、夢の中で咲いて、散んでいくひなげしの生き様になぞらえることができるなら、それは、素晴らしい人生と言えるでしょう。

この歌の「ひなげし」は、晶子の分身であると解釈することもできます。晶子は、ひなげしのように、自分の夢を失い、散っていくことを予感していたのでしょう。しかし、その夢を失ったとしても、ひなげしのように、美しく散っていくことを望んでいたのでしょう。

石井邱黛(いしいきゅうたい)

二三人
紅き野薔薇の
傘形(かさがた)の
あづまやに入り
よく笑ふかな

与謝野晶子の歌「二三人 紅き野薔薇の 傘形の あづまやに入り よく笑ふかな」は、1904年(明治37年)に詠まれた歌です。

この歌は、二三人の女性が、紅色の野薔薇の傘形のあづまやに入って、楽しそうに笑っている様子を詠んだ歌と言えるでしょう。

歌の冒頭「二三人」は、二三人の女性を表しています。

「紅き野薔薇の 傘形の」は、紅色の野薔薇の傘形を表しています。野薔薇は、バラ科の落葉低木です。

「あづまやに入り よく笑ふかな」は、二三人の女性が、あづまやに入って、楽しそうに笑っている様子を表しています。

この歌は、女性の楽しそうな様子を描いた歌と言えるでしょう。晶子は、あづまやで楽しそうに笑う女性たちの姿を見て、心を奪われたのでしょう。

以下に、この歌の現代語訳をご紹介します。

現代語訳

二三人の女性が、
紅色の野薔薇の
傘形のあづまやに入って、
楽しそうに笑っている

この歌は、女性の楽しそうな様子を詠んだ歌ですが、その背景には、晶子の女性に対する思いが込められているように思います。晶子は、女性の生き方を、自由で、楽しいものにしたいと願っていたのでしょう。

私たちも、晶子のように、女性の生き方を、自由で、楽しいものにしていきたいものです。

また、この歌は、人生の楽しさを表現した歌とも解釈できます。人は、人生の中で、さまざまな喜びや楽しみを味わいます。そんな喜びや楽しみを、心から味わうことで、人生は豊かなものになるでしょう。

源川彦峰(みながわけんぽう)

夏の花
漫(みだ)りに咲くと
なげくなり
いつより心
変りはてけん

与謝野晶子の歌「夏の花 漫(みだ)りに咲くと なげくなり いつより心 変りはてけん」は、1904年(明治37年)に詠まれた歌です。

この歌は、夏の花が、乱雑に咲いていることに心を痛め、自分の心も乱れていることを詠んだ歌と言えるでしょう。

歌の冒頭「夏の花 漫(みだ)りに咲くと」は、夏の花が、乱雑に咲いていることを表しています。

「なげくなり」は、心を痛めることを表しています。晶子は、夏の花が乱雑に咲いていることに、心を痛めています。

「いつより心 変りはてけん」は、自分の心も乱れていることを表しています。晶子は自分自身の心も、夏の花のように乱れていることに、気づいています。

この歌は、晶子の心の乱れを表現した歌と言えるでしょう。晶子は、当時、さまざまな葛藤を抱えていました。そんな晶子は、自分の心も乱れていることに、苦悩していたのでしょう。

以下に、この歌の現代語訳をご紹介します。

現代語訳

夏の花が、
乱雑に咲いていることに、
心が痛む。
いつからだろうか、
私の心も、
乱れてきている。

この歌は、夏の花の乱雑な咲き方を詠んだ歌ですが、その背景には、晶子の心の乱れに向き合った思いが込められているように思います。晶子は、自分の心の乱れを、夏の花の乱雑な咲き方になぞらえたのでしょう。

私たちも、晶子のように、自分の心の乱れに向き合い、その乱れを受け入れることで、心を癒し、前を向いて生きていきたいものです。

また、この歌は、人生の無常さを表現した歌とも解釈できます。人は、人生の中で、さまざまな喜びや悲しみを経験します。そんな喜びや悲しみは、いつしか心を乱し、人生を無常なものに感じさせます。

この歌の「夏の花」は、人生の象徴であると解釈することもできます。晶子は、人生の無常さに直面し、心を乱されていたのでしょう。しかし、そんな無常さを受け入れることで、人生をより豊かなものにしていきたいと考えていたのでしょう。

番場松香(ばんばしょうか)

白薔薇は
真紅(しんく)の薔薇に
気(き)上(あが)りし
われの涙に
従ひておつ

与謝野晶子の歌「白薔薇は 真紅の薔薇に 気上りし われの涙に 従ひておつ」は、1905年(明治38年)に詠まれた歌です。

この歌は、白薔薇が、真紅の薔薇に負けまいと、自分の涙に従って咲く様子を詠んだ歌と言えるでしょう。

歌の冒頭「白薔薇は 真紅の薔薇に」は、白薔薇と真紅の薔薇を表しています。白薔薇は、純潔や清らかさの象徴です。真紅の薔薇は、情熱や愛の象徴です。

「気上りし われの涙に 従ひておつ」は、白薔薇が、真紅の薔薇に負けまいと、自分の涙に従って咲く様子を表しています。晶子は、当時、さまざまな葛藤を抱えており、涙を流すことが多かったのでしょう。そんな晶子の涙に、白薔薇は、励まされ、力強く咲いたのでしょう。

この歌は、晶子の心の葛藤を表現した歌と言えるでしょう。晶子は、当時、女性の生き方について、さまざまな葛藤を抱えていました。そんな晶子は、自分の涙に、励まされ、前を向いて生きていきたいと考えていたのでしょう。

以下に、この歌の現代語訳をご紹介します。

現代語訳

白薔薇は、
真紅の薔薇に負けまいと、
私の涙に従って、
力強く咲いた。

この歌は、白薔薇の咲き方を詠んだ歌ですが、その背景には、晶子の心の葛藤に向き合った思いが込められているように思います。晶子は、自分の心の葛藤を、白薔薇の咲き方になぞらえたのでしょう。

私たちも、晶子のように、自分の心の葛藤に向き合い、その葛藤を受け入れることで、心を癒し、前を向いて生きていきたいものです。

また、この歌は、人生の困難を乗り越える力を表現した歌とも解釈できます。人は、人生の中で、さまざまな困難に直面します。そんな困難に直面したときに、自分の心の葛藤を乗り越える力が必要となるでしょう。

この歌の「白薔薇」は、困難に立ち向かう人々の象徴であると解釈することもできます。晶子は、困難に立ち向かう人々の姿を、白薔薇の咲き方になぞらえたのでしょう。

藤田壽樹(ふじたひさき)

くれなゐの
形の外の
目に見えぬ
愛欲の火の
昇るひなげし

この歌は、与謝野晶子の代表歌集『みだれ髪』に収録されている歌です。

上の句は、赤いひなげしの花を詠んでいます。赤いひなげしは、愛や情熱を象徴する花です。

下の句は、その赤いひなげしの花が、形の外にある目に見えない「愛欲の火」を昇らせている様子を詠んでいます。

この歌は、晶子が当時抱いていた恋愛感情を表現した歌であると解釈されています。晶子は、鉄幹との恋愛によって、従来の女性のあり方に縛られない新しい女性像を追求しました。この歌は、そうした晶子の情熱的な恋愛感情を表した作品と言えるでしょう。

具体的には、上の句の「形の外の」は、物質的な形を超えた、精神的な愛情や情熱を表しています。また、「目に見えぬ」は、そうした愛情や情熱が、目には見えないものであることを表しています。

下の句の「愛欲の火」は、晶子が鉄幹に対して抱いていた激しい愛情や情熱を表しています。また、「昇る」は、そうした愛情や情熱が、高みへと向かって燃え上がっていることを表しています。

この歌は、晶子の恋愛感情を象徴するだけでなく、彼女の情熱的な生き方や、女性のあり方を追求する姿勢を表現した作品でもあると言えるでしょう。

以下に、この歌の解釈をいくつか挙げます。

晶子が鉄幹に対して抱いていた、激しい愛情や情熱を表現した歌である。
晶子が、従来の女性のあり方に縛られない、新しい女性像を追求する姿勢を表現した歌である。
晶子の、情熱的な生き方や、人生に対する姿勢を表現した歌である。
読者の解釈によって、この歌はさまざまな意味を持つことができます。
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