野菊の墓ガイド

『野菊の墓』について

『野菊の墓』は、伊藤左千夫の小説。1906年1月、雑誌「ホトトギス」に発表。15歳の少年・斎藤政夫と2歳年上の従姉・戸村民子との淡い恋を描く。

物語は、千葉県の矢切の渡し付近の田舎を舞台に、政夫と民子が出会い、恋に落ちていく様子が描かれます。しかし、二人の恋は、親同士の反対により叶わず、民子は別の男性と結婚し、政夫は町の中学に進学します。その後、民子は病に倒れ、政夫は彼女の墓参りに訪れます。

『野菊の墓』は、純真無垢な少年少女の恋を、切なくも美しく描いた作品です。政夫と民子の恋は、世間の理不尽によって打ち砕かれてしまいますが、それでも二人の心は永遠に結ばれていることを、野菊の花が象徴しています。

『野菊の墓』は、発表当時から多くの読者の共感を呼び、日本文学の不朽の名作として知られています。また、数多くの映画やテレビドラマにも翻案されています。

野菊の墓文学碑

野菊の墓文学碑は、千葉県松戸市下矢切にある西蓮寺の境内にある文学碑です。1965年(昭和40年)5月に建立され、伊藤左千夫の処女小説「野菊の墓」の一節が刻まれています。

文学碑の碑文は、小説の冒頭部分である「矢切の渡し」の章から引用されています。

矢切の渡しは、江戸川の両岸を結ぶ、古い渡し場である。

渡し場から、西の方に目をやると、矢切村の田園が広がっている。

田園には、野菊が咲いている。

文学碑は、矢切の田園風景を見下ろす高台に建てられています。文学碑の前に立つと、小説に描かれた風景が目の前に広がるかのように感じられます。

野菊の墓文学碑は、日本の文学史上に残る名作「野菊の墓」を偲ぶことができる、貴重なスポットです。

野菊の墓文学碑
野菊の墓文学碑
野菊の墓文学碑
カントウヨメナ
カントウヨメナ
野菊の墓文学碑

アクセス

JR常磐線松戸駅から市川駅行(松11)下矢切バス停下車→徒歩5分
北総線矢切駅から徒歩11分

野菊苑展望台

「野菊の墓文学碑」の道路を挟んだ向かい側にありますが歩道橋で繋がっています

眼下に矢切ねぎ畑が広がります

野菊苑展望台
野菊苑展望台からの眺め
野菊苑展望台
野菊苑展望台からの眺め
野菊苑展望台
野菊苑展望台からの眺め

『野菊の墓』を読む

野菊の墓

十五歳の政夫と二つ年上の従姉民子との間に芽ばえた幼い清純な恋は、世間体を気にする大人たちのために隔てられ、少年は町の中学に行き、少女は心ならずも他に嫁いで間もなく病死してしまう。
江戸川の矢切の渡し付近の静かな田園を舞台に、純真、可憐な恋物語として多くの読者の共感をさそい続ける『野菊の墓』、その原形とも考えられる『守の家』、心理小説風な『浜菊』、他に『姪子』を収める。

野菊の墓

アマゾンのKindle

「野菊のような民さんが好きだ」お互いに好意を持っている幼ななじみだがいつしか恋心に育っていた。しかし周囲は2歳年上の民子を嫁にすることを許さない。民子は縁談があり他家へ嫁いでしまうが流産で命を落としてしまう。その手には政夫の写真と手紙が堅く握られていた。何度も映画化された伊藤左千夫の珠玉の純愛小説。(明治時代のお話です)読みやすくするため現代の言葉に近づけました。

『野菊の墓』を観る

野菊の墓 山口百恵

野菊の墓(1977年・1時間11分)主演 山口百恵

田園風景が美しい江戸川べりの村。政夫(佐久田修)の生家は、醤油の醸造業を営む旧家だ。政夫が十五歳のとき、病弱の母きく(南田洋子)の世話をするため、従姉で二つ歳上の十七歳の民子(山口百恵)が家に住むようになった。以来二人の仲は親密になり、村人や奉公人の間で噂にのぼった。きくは奉公人をいましめ、二人をかばうが、なるべく会わないようにと話す。それが二人の思いを淡い恋心に変えていった・・・

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野菊の墓 松田聖子

野菊の墓(1981・1時間30分)主演 松田聖子

政夫の生家は醤油の製造業を営む旧家だった。数え年15歳の政夫は、その日、病弱な母きくの薬を取りに町へ向う途中、すれ違った舟の中に桃割れ姿の民子を見つけて胸を躍らせる。民子は政夫の従姉で二つ年上の17歳。きくがわが娘のように可愛がっていて、政夫とは姉弟のように仲が良かった。やがて、きくの面倒と家事の手伝いをするため民子は政夫の家に住みこむようになり、二人の仲はいっそう親密になっていった。きくや兄の喜一郎は、そんな二人を気にも留めなかったが、兄嫁の初子は意地悪な目で民子をみつめ、奉公人のお増や常吉たちは好奇心も手伝ってあれこれ噂話をするようになっていた。民子と政夫は自由に話すこともできなくなるが、それが二人の想いを淡い恋ごころへと変えていった。秋祭りの日、政夫は道端に咲く野菊を見つけ、その可憐な美しさを民子にたとえるのだった。

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野菊の如き君なりき

1960・1時間32分(木下惠介監督・脚本)

原作は伊藤左千夫の有名小説『野菊の墓』。思い出の信州の故郷を何十年か振りに訪れた一老人の回想のなかに、旧家に生まれ育った少年時代の主人公と年上のいとこの、淡く美しく、そして悲しい恋の物語を描く。木下惠介の筆致は、最も脂の乗り切った時期の作品だけに、練達のリリシズムを感じさせる。回想場面を白地の楕円形のマスクで囲い、古い写真帖をめくるような手法が効果的で、詩情あふれる撮影も相まって涙なくしては見られぬ名作となった。

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矢切「ぶら~り散策コース」民子さんコースを往く

矢切「ぶら~り散策コース」民子さんコースを往く

矢切「ぶら~り散策コース」民子さんコースを往く

矢切「ぶら~り散策コース」民子さんコースを歩いてみました。

矢切の渡し辺りから矢切の渡し公園の脇道を通って、「野菊のこみち」から野菊の墓文学碑、矢喰村庚申塚を経るコースです

矢切「ぶら~り散策コース」民子さんコースを往く

矢切「ぶら~り散策コース」民子さんコースを往く

矢切「ぶら~り散策コース」民子さんコースを往く

矢切「ぶら~り散策コース」民子さんコースを往く

矢切「ぶら~り散策コース」民子さんコースを往く

矢切「ぶら~り散策コース」民子さんコースを往く

矢切「ぶら~り散策コース」民子さんコースを往く

「野菊のこみち」に入ります。舗装されていない畑の間を通ります。
左手に大根、右手にキャベツと矢切ねぎが植わっていました。
 調べてみると「野菊の墓」が出版されるより前に矢切でネギの栽培が行われていたようです。

矢切「ぶら~り散策コース」民子さんコースを往く

矢切「ぶら~り散策コース」民子さんコースを往く

矢切「ぶら~り散策コース」民子さんコースを往く

矢切「ぶら~り散策コース」民子さんコースを往く

矢喰村庚申塚

矢喰村庚申塚

矢喰村庚申塚

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