1 戦前
(1937年/昭和12年 — 1945年/昭和20年)
まちの変化
1927(昭和2)年、老朽化が激しかった葛飾橋が鉄橋に架け替えられました。道路の整備も進み、松戸-市川、松戸-金町、松戸-流山を結ぶバス路線が次々に開設され、人々の新たな足となりました。昭和11年には、常磐線の上野-松戸間が電化され、上野と松戸は23分ほどで結ばれました。 1933(昭和8)年には松戸町と明村が、さらに1938(昭和13)年には八柱村と合併しました。
松戸の軍事施設
戦前、千葉県下には歩兵連隊(佐倉)、野戦重砲兵連隊(市川)、騎兵連隊・陸軍習志野学校(習志野)、鉄道連隊(千葉・津田沼)、陸軍歩兵学校・戦車学校・高射砲学校(千葉)、陸軍野戦砲兵学校(四街道)など多くの軍事施設がありました。松戸市域では第一次世界大戦後の1919(大正8)年、陸軍工兵学校が相模台(松戸駅東側一帯の台地)に開校しました。
市域には鉄道第2連隊が演習のために敷設した軍用鉄道(津田沼~鎌ヶ谷~松戸)もありました。このルートは京成松戸線の前身にあたります。※
太平洋戦争末期には、現在の松飛台にあった松戸飛行場(逓信省中央航空機乗員養成所飛行場)に、東京を空襲するB29を迎撃するための戦闘機部隊が配備されました。松戸市域にあった軍事施設は、戦後開拓地をへて工業団地、住宅地、公園に姿を変え現在に至っています。
出典:「平成27年度館蔵資料展 松戸市平和祈念展」(松戸市立博物館2015年) 「はばたき松戸市制50周年記念誌」(松戸市1993年)





































